卒園おめでとう

先日、娘の卒園式でした。

今、通っている園は小規模保育園なので2歳児まで。
そのため、無事、卒園となりました。

この園に通ったのは、たった1年。
けれど、とても大きな1年になりました。

忘れられない初登園の日。
不安そうな顔をしながら先生の手をとり、
背中をまるめて教室に入っていく後ろ姿を、
祈るような気持ちで見つめていました。

数時間後、迎えにきたわたしを、
なんとも頼りない顔で見つめ、今にも泣きそうなのを
必死にこらえていた娘。

今では、朝、先生を見つけたら猛スピードで駆け寄っていき、
夕方、先生の姿が見えなくなると「さみしい」とつぶやくように。

もうそれだけで、先生たちがどれだけ大切に、
愛情いっぱいに接してくれているのかよくわかります。

ほんとうに、ありがたい。

そして、保育園では大好きなお友達もできました。
家で遊んでいるときも、家族で出かけているときも、
「○○ちゃん、あいたい」と、つぶやくくらい大好きなお友達。

お買い物ごっご、おままごと、外遊び…
毎日仲良く遊んでいるようで、ほんとうにうれしい。

この1年、あかねさんは大いに成長してくれました。
ますます体が大きくなり、しっかりしてきたのはもちろん、
おしゃべりも、おうたも上手になり、
めちゃめちゃ「お姉ちゃん」になりました。

わたしたち大人が言うことを理解し、
しっかり反抗もして(笑)、
自分の「やりたい」を主張してきます。

そんなわけで、
なんともかわいく、にくたらしい娘。

相変わらず、手こずっていますが、
今日もあかねさんが元気でいてくれること。
それが、何よりもうれしいです。

なんとも生意気な顔(笑)

以前にもブログに書きましたが、
保育園生活がスタートした1歳から、
あかねさんは毎年、転園しています。
そのため、次の保育園が3つ目の園に。

こうやって転園を繰り返すことが、
親の勝手で子どもを振り回しているように思えて、
心のどこかに罪悪感をおぼえていました。

けれど、わたしとしては、
節目が多い分、これまでの日々を振り返る機会をもらい、
めちゃめちゃありがたく感じています。

そして環境が変化するたびに、
あかねさんの成長に気づき、頼もしさを感じ、
我が子への信頼感や安心感が増しているように思います。

今年もまた変化の春を迎えますが、
3年目にしてようやく、「あかねさんは大丈夫」と、
どんと構えることができるようになりました。

そういうわけで、この3年間のドタバタは、
ネガティブ思考で不安がりなわたしが成長するために、
必要な出来事だったのかもしれません。

そう考えると、
「今まで」のことに感謝の気持ちが湧いてきます。

一緒に乗り越えてきてくれた、あかねさんにも。
旦那さんにも。
サポートしてくれている家族にも。

「ありがとう」です。

おてんば盛りです


ちょっと話が逸れてしまうのですが、
学生時代に「まさこのキャパはこれくらいでしょ」と言って
「おちょこ」をプレゼントしてもらったことがあります。

関西人らしい、なかなか辛口なプレゼントでしたが、
まさにその通りで、

あれから20年近くたつけれど、
すぐにいっぱいいっぱい、あふれてしまうところは変わっていません。

家事と仕事と上手く両立できず、
家も仕事も思うように進めていけない。

イライラして娘にキツくあたる。

「手伝って」がなかなか言えない。
というか、何を手伝ってもらいたいのかよくわからない(笑)

こういうわたしと暮らしていくことは、
きっと快適なことばかりじゃないはず。

というか、

「どうしたら…」といぶかしく思うことが
多々、多々あるはず。

そして時には
愛想がつきそうになる日も…。

それでも今日も
「家族」として、ともに暮らしてくれていること。

愛情をもって接してくれていること。

そういう、一見「当たり前」に思えることに、
ただただ「ありがとう」が湧いてきます。

わたしの人生において
「家族」は何よりも大切で愛おしい宝物です。

わたしを育ててくれた家族も。
わたしが育んでいる家族も。
とてもとても大切です。

”こんな家族を持てて幸せ”

だから、わたしはこの世界を
「家族」の外にもつくっていきたい。

だから、「仕事」を持ちたい。
だから、「働く」を続けたい。

今、この文章を書いていて、
そんな想いに気づきました。

娘を保育園に通わせているのも
きっと同じことで、

家族以外の場所にも、幸せな世界を持ってもらいたい。

「お母さんだいすき」と言うように
「先生だいすき」と。

「お父さんだいすき」と言うように
「○○ちゃんだいすき」と。

自分で自分の「幸せ」をつくっていく経験を
たくさん積んでもらえたら、
娘の人生はきっと、何があっても大丈夫。

そんな気がするんです。

それは、保育園時代が終わっても同じで、
小学校、中学校、高校、大学…と続いていきます。

その年齢になるから通う。
勉強をするために通う。
友達をつくるために通う。

そのどれもが正解なんだろうけれど、
外の世界に「幸せ」を広げていくために。
自分の「幸せ」をつくる術を学ぶために。

家族や家庭という枠を超えていってもらいたい。

そんな風に思っています。

というわけで、まずはわたしが今日も「枠」を超えて。
その姿を娘に見てもらおう。

ママ、にこってして

「ママ、にこってして」
そう言いながら、娘がわたしに向かって作り笑いをする。

こういったことが、このところ何度かありました。

そのときのわたしは、一体、どんな顔をしていたのでしょうか。

少なくとも、心はギザギザ、トゲトゲ。
焦っていたり、怒っていたり、イライラしていたり。
まるで砂漠の中を歩いているような、そんな気分でした。

3歳になった娘は、いつも元気いっぱい。
お歌を歌ったり、おままごとをしたり、お人形遊び、それから積み木に粘土…
気がつくと家の中を走り回っているし、“おうち公園”(リビングのことです)のすべり台で大胆に遊んでいます。

おしゃべりも達者になってきて、
「ごはんだよー」と声をかけたら「あとでたべるからー」と。
「おふろはいろー」と呼びかけたら「ちょっとまってー、いま、○○してるからー」と。
「ねんねしよー」と誘ったら「アンパンマンみるの!」と。

当たり前だけれど、娘は、もう立派な「1人の人」として目の前に存在していて、
わたしの思惑や予定を、スルスルとほどいていきます。

そんなわけで、気がつくと、
さっきお話ししたような“砂漠”が心の中に広がっていき、
「ママ、にこってして」と言われるわたしが出来上がっている次第です。

「どんなときも心に余裕をもって、
娘の言動を受け止め、臨機応変に対応できる母でありたい」
そんな理想を持っています。

1日のうちの何度かはそれなりに対応できても、
積み重なった「イライラ」が、結局はどこかのタイミングで爆発する。
現実は、こんな感じです。

「ママ、にこってして」

そう言われると、大人びたことをいう娘をかわいらしく感じながらも、
やっぱりどこか、切ない。

とってつけたような“作り笑い”をする娘の顔を見るのは、
もっともっと、切ない。

何度目かにそう言われたとき、娘を抱っこして聞いてみました。
「お母さんがこわい顔してたらいや?」

娘は泣きそうな顔をしながら、
「ママ、ニコッてしてほしいの!」と。

やりたいこと
やるべきこと
やらないといけないこと

わたしたちの毎日の中には
いろいろな“タスク”があります。

そのひとつひとつはどれも大切で、
それぞれに意味があり、
その積み重ねで“日々”が出来上がっています。

けれど、わたしはその中に、
1番大切なものを入れ忘れていました。

「わたしが笑顔でいられる環境をつくる」


思っている以上に、
娘はわたしのことを見てくれていて、
大きな影響を受けながら成長している。

「娘のため」と思いながら、
つめこんでいる“タスク”が、
いつの間にか逆効果になってしまっているのかもしれません。

娘を産んですぐの頃、
大好きな先輩お母さんにこう教えてもらいました。


「お母さんは“余裕”が1番大切」

すっかり忘れていました。

まずは日々の整理整頓を。

できること以上のものを抱え込んでいないか確認すること。
そして、手放せるものは手放していくこと。
そしてそして、手伝ってくれる人を募ること。

ひとつずつ、やっていこうと思います。
その先に、“娘と一緒に笑うわたし”がいるはず。

3歳おめでとう

先日、娘が3歳になりました。
というわけで、わたしも“お母さん3歳”です。

あっという間の3年。
だけど、とっても大きな3年。

娘が生まれてすぐの頃は
「3歳までは子どもとゆっくり」なんて思っていたのですが、

そんなことは私には全然できなくて(笑)
1歳になるのとほぼ同じタイミングから、保育園に通ってもらっています。

思い返すと、
娘が8ヶ月くらいの頃から一緒に過ごすことが難しくなりました。

それは、成長してきた娘には、娘のやりたいことが。
ちょっと心に余裕が出てきたわたしには、わたしのやりたいことが。
お互いの欲求がはっきりしてきて、一緒にいると、どちらかが我慢しなければいけないし、我慢させていることに心を痛めるようになってきたのを感じたからです。

はじめは、一緒にいる時間が少なくなることに不安を感じたり、
さみしくなったり、悪いお母さんだと自分を責めたり…

そんな気持ちもあったのですが、
いざ、離れてみると、いいことばかり。

離れて過ごす時間が増えたからこそ、一緒にいる時間が「大切」「ごほうび」と感じられるし、
娘を見つめる大人の目(保育園の先生)が増えて、わたしが気づかないことを教えてくれたり、
何かあれば相談できる子育てのプロと毎日顔を合わせられる環境を手に入れました。

そういったわけで、保育園に通ってもらうことで、
わたしの子育ては随分と楽に、そして自由になったと感じています。

そんな保育園生活も、3年目。
家庭の事情で娘はこの春から3、つ目の保育園に通い始めます。

我が家はひとりっ子ですが、
「保育園探し」はすでに3回の経験があります。

もちろん、もっとたくさん経験されている方がいらっしゃると思うのですが、ひとりっ子ママとしては多いほうでは?!と思ったりしています。

入園の手続きは毎年同じですが、その中身はそのときそれぞれ。
悩むことも、感じることも、望むことも、少しずつ違います。

1年目は、もうわけがわからず。
初めての保育園探しで、何からスタートさせたらいいのか。
そして「保育園探し=大変」という思い込みもあり、随分と重たい気持ちで探しはじめました。
さらには、「保育園を探そう!」と思ったタイミングも遅く、ちょうど1次募集が終わった頃。
もう選択肢もあまりないし、わたし自身は求職中だったので、いわゆる「点数」も低く、「絶対見つからない」と家に帰って大泣きしました。

結局は、夫の会社の託児所が運よくあいていたので、そこに決めて、
なんとか無事、保育園デビュー。
わたしの仕事も決まり、家族3人、新しい一歩を踏み出しました。

2年目は、我が家の引っ越しに伴い転園することに。
引っ越しを決めたタイミングが、またまた、ちょうど1次募集が終わった頃。

「2歳児が1番難しい」という区役所の担当の方からの言葉を受けて、かなり落ち込みました。

さらには、当時住んでいた大阪から、引越し先の神戸まで通いながらの保育園見学。

雪の降るなか坂道を登って、1日3〜4件、とにかく通えそうな範囲の園を全部まわりました。それでもやはり、2次募集は枠が少なく、通わせたいところは募集すらないという状態で。
申し込み用紙提出の前日、夫と夜遅くまで話し合い、第1希望から第4希望までを埋めました。

その結果、今通っている保育園へ。
比較的、家から近く通いやすいのですが、小規模保育なので、2歳児まで。
1年しか通えないところがひっかかっていたのですが、また3歳で探し直そうと期待を込めて、ここに決めました。

どうなることかと思ったのですが、通い始めてみたら、とってもいい園で。
先生たちはみんな親切で、想像以上に娘も早く慣れ、楽しそうに通ってくれています。

この2年目の経験はわたしにとって大きく、「決まったところがいいところ」なんだなという感覚を教えてくれました。

ついつい「何としてもいい園に!」とか「ここじゃなきゃだめ!」という強い気持ちがはたらいてしまって、

自分の力の及ばない範囲をコントロールしようとしていたのだと思います。なんとも怖いお母さんですね(笑)

この学びを得た3年目は、
落ち着いて行動でき、自分自身の成長を感じました。

夏頃から少しずつ、無理のないスケジュールで見学に行き、
いいなと思った園には娘を連れて園庭開放に通いました。

娘にどんな毎日を過ごしてもらいたいか、
それをサポートするわたしたちの毎日はどんな感じがベストなのか。
夫や家族といろいろ話して、希望を決めました。

区役所では「3歳児も難しい」と聞かされていたので、
あまりたくさんの候補をあげていないわたしの申し込み用紙をみて、
担当の方に心配されました。

けれど、これがダメならまた考え直そうと夫婦で話し合っていたので、
わたしは安心して自信満々に提出しました。

それから結果が通知されるまでの数ヶ月。
時々思い出しては「あーどうなるのかな」とやきもき。。。
だけどその度に「決まったところがベスト」「神様にお任せする」と
自分に言いきかせて、気持ちを落ち着かせていました。

それがよかったのか、第1希望の園に決まり大喜び!
今は、春が来るのが待ち遠しい限りです。

「保育園」というキーワードで、これだけたくさんの思い出があります。
もっというと、今ここに書き連ねたのはほんの一部で、書こうと思えば、まだまだ書けます(笑)!

なんとも不思議なものですね。
母にとって「保育園」とは、「子どもを預ける」とは、
それだけドラマチックで大きな選択なんだと感じずにはいられません。

もっともっと冷静な目でこのことを見てみると、
娘が通う保育園なのに、「娘」の存在がやや置いてきぼりになっていることに気づきます。

もっともっと本質的なことを言えば、
どんな保育園に通うことになったって、「うちの子は大丈夫」と信じてあげれば、それでいい。

あーだこーだ騒いでしまうわたしは、まだまだ未熟な母だなと、恥ずかしい気持ちにも。

だけどこの3年で、少しはしっかりしたお母さんになれたんじゃないかな。
そのために必要な出来事が次々と起こったんだろうし、
たったひとりの子どものために、3回も保育園を探すことになったんだろうと思います。

“お母さん”になって3年。
これまでにない経験をたくさんさせてもらっています。
その中で悩んだり迷ったり喜んだり、泣いたり、笑ったりしている毎日が、ただただ幸せです。


娘さん、ありがとうね。
これからもたくさん遊ぼうね。

赤いバラをあなたに

このところ、夫と言い合いになることが多く
「ごめんなさい」「ありがとう」の気持ちを込めて、
赤いバラを買って帰りました。

夫が理解してくれないと思っていたけれど、
それは私の説明不足が原因でした。

いつも私の「やりたい」を応援してくれる夫。
その優しさに、甘えすぎていたのかもしれません。

これからはもっと誠実に丁寧に、
お互いの心を語り合っていけたらいいなと思います。

夫婦4年目。
まだまだひよっこ。
だけどもう新婚じゃない。

きっと私たちの関係も
新しい局面を迎えているのでしょう。

私が買ってきた赤いバラ。
夫は少し照れながらも喜んでくれくれました。

これからもずっと一緒に歩いていけますように。

アロマライフ始めました

ずっと憧れていた「アロマライフ」を始めました。

“いい香りがして、体にもよく、
ナチュラルな暮らしができる”

「アロマオイルのある暮らし」には
そんなイメージを抱いていて、素敵だなぁと思っていました。


でも、何から始めていいのかわからず、
なかなか一歩を踏み出せずにいたんです。

そんな時に、ふと背中を押してもらって
ついにえいやーとアロマの世界に飛び込みました。

そしたら、やっぱり。
とっても楽しんいんです。

アロマオイルには、いろんな効能がありますよね。

初心者の私は、今、勉強中で、
まだまだ詳しくはありませんが、


リラックスしたい時は、ラベンダー
熱さましには、ペパーミント
抗菌作用のティーツリー

などなど、少しずつ自分の体で試しながら、
知識と体験を蓄えていっています。

そんななか、新しい習慣として加わったのが、
「お出かけ前のアロマタイム」

免疫力アップ効果のあるアロマオイルを
保育園に行く前、娘の足の裏にぬりぬり。

「今日も1日、元気で過ごせますように」

そう願いながらのアロマタイムは、
まるで「おまじない」のようです。

「大切な家族が、今日も元気で笑顔で幸せでいてほしい」
そのためにできることが、またひとつふえました。


私には、それがうれしい。

始めたてのアロマライフ。
この喜びが今、1番の宝物です。

娘に教えてもらったこと

今日は娘の保育園の保護者面談でした。
普段、送り迎えを夫に担当してもらっているので、
私にとっては久しぶりの保育園。

ちょっとドキドキしました。

「コロナ感染予防のため、20分くらいで」とのこと。
こんなところにもそんな影響が、と思いつつ。

担任の先生と、夫と私。
向かい合って座ってしばし娘の話を。

先生からのお話としては、
娘はいたって元気に保育園ライフを楽しんでいるようで、
問題点は思い浮かばない、とのこと。

よく遊び、よく食べ、ごきげんで、
先生の言うことも理解して行動し、
いやなことはしっかり主張しつつ、
お友達とも仲良く遊んでいるという娘。


慣らし保育の時にネックになっていた
お昼寝(なかなか寝られず泣いてばかりだった)も
いつのまにか上手になって、みんなより早く起きてしまっても、
布団の上で静かにゴロゴロ遊んでいるようで、

「かんぺきです」と言ってくださいました。


たくさん褒めていただいて、素直にうれしいし、
「私の子育ても、そんなに悪くない」と思えます。

そして、娘が家じゃない場所で、家族じゃない人たちと、
仲良く楽しく過ごしていると知って、
安心して離れてていいんだな、と感じました。

「保育園に預けるのは、私のわがまま」

心のどこかでやっぱりそう感じていて、
罪悪感が拭えずにいたけれど、

わずか1歳半の娘が周囲に順応し、
彼女なりに、与えられた環境を楽しんでいる姿を想うと
私の度量の小ささを感じずにはいられません。

今日は娘に教えられた気持ちです。


「もっともっと楽しもうよ」

今、保護者面談が終わって、
近くのカフェで珈琲を飲みながら
このブログを書いています。

娘が生まれる前、ここでよくこうやって仕事をしていました。

またこうやって、ここにいられるなんて。

娘が生まれて「止まった」「失くした」ように思っていたものが、
また動きだしたのを感じています。

しあわせだな。

それもこれも、みんなのおかげ。

元気に保育園に通ってくれる娘
いつもサポートしてくれる夫
娘のお世話をしてくれる先生方
いつもサポートしてくれる友人たち

ありがとうございます。

「お母さん第2章」始めました。

昨日から、娘の保育園生活が始まりました。

正確にいうと、少し前から始まっていたのですが、
週2〜3回程度のスポット利用でお世話になっていて、
今週からは月〜金まで週5日、お世話になることになりました。

本来ならば、4月からこういう生活になる予定でしたが、
思いがけないStay Home生活と、それに伴う変化があり、
約3ヶ月遅れでのスタートとなりました。

「ようやく」という想いと、「ついに」という想いが、
心の中で葛藤しています。

娘の保育園の送り迎えは、夫が担当してくれていて、
朝、2人を見送ったあとの静けさに、なんとも言えない想いがこみ上げてきました。

とはいえ、1日が始まってみると、
身軽に動けて出かけられるこの自由さが、
ありがたいやら、うれしいやらで、
気がつくと、淋しさはどこかに吹き飛んでいきました(笑)

娘とゆっくり暮らす毎日から、
家族とともに未来をつくっていく毎日へ。

大げさかもしれませんが、
「お母さん第2章」が始まったような気分です。

「お母さん 第2章」初日の昨日は、
神社にお参りに行きました。氏神さまと、有名なサムハラ神社

「新しい暮らしがスムーズに豊かに進みますように」

温かく見守っていただけるよう、お願いしてきました。


帰り道、ちょっとどこかに寄りたくて、
気になったカフェに行ってみました。

Cafe 婆沙羅 かえる堂(カフェ バサラ)(お店のサイトはこちら

そういえば、こうやって知らない街を
キョロキョロしながら歩くのが好きだったなと
お母さんになる前の私を、また少し思い出しました。

とても居心地のいいカフェで、
長い深呼吸をさせてもらったようなくつろぎタイム。

私が頼んだのは、インドチャイ。
歩いていたら暑くなったので、喉も心も潤いました。

ランチやカレーが有名みたいなので、
次はランチタイムに。

また、こよう。

昨日は本当に充実したいい1日で。
娘が生まれてからの1年数ヶ月を労えたような気持ちです。

そして、これからは。

やりたいことがたくさんあります。
学びたいこと、深めたいこと、続けたいこと、広げたいこと。

気持ちだけ焦ってしまいがちな私。
落ち着いてひとつずつ、楽しみながらやっていこうと思います。

「わたしも、家族も、みんなも笑顔になる」

そんな風に暮らし、働き、生きていきます。

「お母さん 第2章」
滑り出しは上々です。

新しい未来を

「毎日続ける」ことほど、難しいことってない。

このブログも、毎日更新を目標にしていたものの、
いつの間にかストップしていました。

子どもがいるから
今日は忙しくしていたから
急用ができたから

その日その日で
いろいろな事情があるのだけれど、
結局はコミットしきれていない私がいます。

でも結局また
こうやって書き始めるのは
やっぱり書きたいし、自分を諦めきれないから。

だったら最初から
”その日の事情”に振り回されず
”今日”を諦めなきゃいいのに。

それがまずは、私のテーマなのかもしれませんね。

「始める幸せ」はもう十分知っているので、
そろそろ「続ける幸せ」を学びたいものです。

写真の花はネモフィラ。花言葉が素敵なんです。
https://folk-media.com/1736925#i-5

「どこでも成功」
「私はあなたを許す」

なんとも励まされる言葉です。

いつものパターンを卒業し、
新しい未来を作っていけますように。


ということで、また今日から。

アフターコロナ、どう生きようか

大阪で暮らす私たちに、うれしいニュース。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020051901058&g=pol

ついに「アフターコロナ」が近づいてきました。

Stay Home生活が1ヶ月をすぎた頃から、
そろそろ次の「日常」について
夫と話し合うことが増えてきました。

どうしたいかな?
どんな風に暮らしたいかな?

私は春から働く予定でした。
妊娠・出産という人生の大イベントのなか、ずっと家に居たのですが、
心機一転、「働こう!」と意気込んでいました。
詳しくはこちらの記事

それが延期になり、非日常を過ごしているうちに、
私の気持ちにも変化が起きています。

その変化について、まだ上手く言語化できてないのだけれど、
とにかく、これからの毎日は、これまでとは違うもののような気がしています。

この1ヶ月、不思議な毎日でした。



「社会が止まる」


きっと多くの人にとってもそうだろうけれど、
私にとっても初めての経験。

ずっと家で過ごしていた私の暮らしぶりは、さほど大きく変わらなかったけれど、
この日々の中に流れる時間は、今までよりずっと静かでゆったり。
そこに違和感を感じていました。



そんな中、否応なく気づかされたのは、
これまで生きていた世界が、どれだけ幸せで、安心で、安全だったのか、
そしてそれが、いかに「当たり前」で「大前提」だったのか、ということ。

その「前提」が崩れた今。
これまでとはどこか違う「日常」が始まるような気がしています。

こういう気持ちも、今だけなのかな。
時間がたてば、薄れていくのかな。

そう思いつつも、今は、「新しい日々をどう暮らしていくか」
その答えを見つけるために、頭も心も動いている。
そんな感じです。

ただひとつ、決めているのは、
「自分の心の変化に素直でありたい」ということ。

夫と娘と私。
それぞれの想いや考えや事情と、目の前の「現実」と。

うまいこと折り合いをつけられる心の柔らかさが、
いつも私の中にありますように。


「親になる」って何だろう

今朝も家族で散歩に出かけました。

私としては、
柔らかい芝生の上や土の上を歩いて欲しいなと思うのですが、

最近の娘は、舗装された道に夢中。
公園に行っても、なかなか中に入れません(笑)
周辺の遊歩道を行ったり来たり。

何度も公園の中に誘いますが、
私のことは気にもとめず、スタスタ歩いていきます。

ますます自分の意志が
しっかりはっきりしてきたんだなと実感します。

もう1歳やもんね。

娘が生まれて1年3ヶ月。
今でも時々、「自分に子どもがいる」ことを不思議に思います。

娘の顔をまじまじと見て、
「なんでここにずっと居るんだろう」
「私と夫の子どもなのかぁ」と何とも言えない気持ちになるんです。

夫も同じみたいで、時々こうつぶやいています。
「俺に子どもがいるなんて」

もちろん私も夫も、娘のことはかわいいし、愛しています。
「私たちのところに来てくれてありがとう」心からそう思っています。


でも、親になったら、もっとこう使命感とか責任感とか、
そういうものが心にみなぎっていくイメージがあって、


「この子を一人前にするまで死ねない」
「この子のためなら命も惜しまない」


それが親としての”自覚”とか”覚悟”というもので、
それを糧に強くたくましくなっていくのかなと思っていたのです。

けれど、私はどうもそういうタイプではないようで、
今もどこか”あっけらかん”としているような。

”1歳の小さな女の子と一緒に暮らしている”
ただただ、それだけのような気がします。

                                                                                      

世の中のお父さんお母さんたちは、どうなんだろう。
いろんな方と話してみたい。

「親になったなぁ」と実感したときは、どんな時?
「親になる」ってどんなこと?